宮城・石巻市にて、あるボランティアの手記 ◎4月中旬◎


以下は私の大学学部時代の友人、Sさんが宮城県石巻市へボランティア活動のために赴いた際の手記を、ご本人のご好意により、許可をいただいた上で転載させていただいたものです。 「取材」という形で今回の震災に関わる他の記事を書いている我々編集部とは違う、ボランティア活動参加者の視点や心中、そして被災地の現状を知っていただければ幸いです。なお、写真はSさんが当地にて撮影したものです。

(編集長 稲葉)



一ヶ月ほど前に約一週間、宮城の石巻に行ってました。はじめは福島に行くつもりでした。 まさかの震度6が来たり、大きい余震が続いて人手が集まらなくなってるとのことなので、行って力になれる時かなと思い。

そのとき東日本大震災から一ヶ月以上。大きな悲しみを抱いていたり困ってる人が居る。
何かしたいけど、お金もない、名誉もない、今の私にはとことんなんもない、だから、じゃあ体を張る。江頭2:50様と同じです。
でも根性とか打たれ強さには自信あるので、それでもって「無力」を「微力」へこじ開けようとしました。
というか、「無力」は即ち「邪魔」を意味する。。

ネットやテレビで沢山情報入ってきたり、身近で大変な方もいて、色々言いたい事とか思うこと、沢山あったけど、まずは自分で行って行動してからかとも思ってた。

東北は、秋田に「みかぐら」(踊り)の稽古に行ったり、岩手に幼馴染と桜前線を追いかけに行ったくらいで、宮城は初めてでした。
緑に囲まれたその場所は、原風景的というか、不思議で素敵な懐かしさを感じました。来られて良かったと思った。

それでも、被害の大きい、作業場所付近に近づくと、街は瓦礫の山で、お墓に車が乗ってたり、道の真ん中に家があったり、女川に至っては3階建てのビルに車が乗ってたり、異次元かと思うほど凄惨な被害の受け方でした。

経路は、新宿~仙台の夜行バス→仙台~石巻ボランティアシャトルバス。

一人暮らしだし、家族とか友達、ほぼ誰にも言わず来たな…。 守るものなんてなく 基本、行動が唐突だ。


私が参加したのは、マッドバスターです。軽トラの荷台に乗せられて、台車とスコップ持って、津波による被害に遭われた家々にいき、泥だし、瓦礫運び、家具運び、掃除、取り壊しなどを行っていました。
「女性はきれいでいなきゃ」とか言われたり、女ということで気を遣われたりした(ここにきて男だとか女だとか、そういうの、好きじゃないです。)けど、 畳一人で持ち上げたり、汚泥の運び役を進んで買ってたので、 段々対等に扱われ、ちゃんと力になれてたと自分でも思えたので、良かったです。


ボランティアには人種の坩堝と言っていいほど、多種多様な方々が参加されていました。北海道から石垣島まで、そしてアメリカ、タイ、イギリス、アフリカ…など等国籍問わず。
遠く離れた場所から、日本の宮城へ助けに駆けつけていました。
仕事は休暇をとって。

地元石巻の参加者も居ました。
自身も自宅が津波の被害に遭い、友達や親せきにもまだ行方不明者が居るという二十歳の女の子は、「じっとしてるよりはまだ、何かしていたほうがいい」、と泥かきに参加していました。


なかには、解雇されて「あんた被災地にボランティアでも長期で行ってきなさい、変わりなさい。その分の費用は出してあげるから」と家族に言われてやって来たおじさん(なんだその家族)や、 就活のポイント稼ぎと、出会いを求めに来たという女子高生軍団も…。 すごいなオイ、と思ったけど、それくらいの方が元気でいいのかな?
あの年頃は様々な行為に対し照れや自意識が強いものだし、本意はわからない。ただ、彼も彼女らも、てきぱき作業をし、力となっていたことが、ただ事実。

住んでるところも年齢も、職業も思惑もそれぞれな、多くの人たちが、東北の力になるという、一つの目的のために尽力していた。

力仕事の得意な人は泥かきを、料理の得意な人は炊き出しを、医者は医療に従事して、マッサージ師や整体師はボランティアと被災者両方に施術し(テントには30分~0円と立て看板が)、カメラマンは、思い出を流された人々に思い出を作ってやろうと写真を撮り、 女社長はポケットマネーから色んなものを買ってあげ(素敵。家族全員亡くした高齢者に「じいちゃん、楽しみはなあに?」「テレビだあ。」彼女は、すぐに最高品質のテレビを買って送ったそう。) 決まったやりかたなんてないのが当たり前で、ただそれぞれ自分が最も力になれることを、自分の頭で考え、見つけたら無心に取り組んでいた。

それでも、お金や技能が欲しいと、こんな切望したことはありません。
むしろ自分ゴミだなとか思いました。いろんないみで。
けれど私も、自分の出来る範囲のことを、ときに出来る範囲を飛び越えながら、やるだけです。

私は我が強いのでぶつかったり、多分、空回ったりも沢山したと思う。でも、良かった。そう思う。 滞在中は、2つのボランティア団体に属してました。 言い合いのすえ 「じゃああなたはボランティアとかじゃなく災害救助の仕事でもすればいいのでは」とか言われた…何でだ。なんだかなぁ。 あと、好意でやってるはずの炊き出しが遅いと文句をつけ、被災者のための炊き出しに当たり前のように行って、私が注意すると「ないもんは仕方ねえ。臨機応変だ。」と居直るオッサンと口論になりました。 いつから臨機応変はそんな都合の良い言葉になりさがった? ある程度仕方ないにしても、ないからこそ現地の物資を減らしちゃいけないし、自分で持ってくるのが当たり前だと思うんだけど…。 なんのためのボランティア。 でもそのオッサン(家族に行かされた人と同一)は私よりずっと長い期間居て、現地の力になっているのは確かなのであまり色々言うことはできない。

元来「ボランティア」という言葉も、あんまり好きじゃないです。 一人じゃどうにもならない人を手助けすることはもっと自然のことであっていいし、それには名前なんていらない。名前がつくことで浮上する無用な躊躇いもある。 それでも、目的を前にして、そんなことはどうでもいい。


私は、災害ボランティアセンターの本部・石巻専修大学に、テントに寝袋で滞在してました。(テントと寝袋は本部に借りられました。) そこのグラウンドには、滞在の県外ボランティア達が沢山テントを張っていて、ちょっとしたキャンプ場です。 汗かいたりヘドロまみれになってもお風呂入れないし 春とはいえ、東北。 夜はかなり冷え込む(雪も降りました)のだけど、何かためになれることがあると思うと、寒さも気になりません。 食糧も自分の分は自分で持参が基本。新宿の100均で買い込んだ缶詰やカロリーメイト…でしばらく居たのですが、なんとボランティアがボランティアのために炊き出しをしてくれてました。

よく、「お疲れ様です!あったかいうどんありますよー食べてってくださーい(´∀`*)」
とか声かけてくれてた、ギャルっぽくて可愛い炊き出し女子にはとても癒されたよ。
私、結婚願望ないと思ってたけど、嫁がほしくなったよ。
わたし「ここでこんな美味しくてあったかいもの食べられるなんて思わなかった」その娘「出会えて良かったです(´∀`*)」天使か!

一人でここに来た以上、自分のことは全部自分で、と覚悟きめてたのに、
色んな人が色んなものをくれて、想定外に感謝の連続でした。
特に、元イギリス軍の人とは、よく物々交換したりカップ麺にいれるお湯をもらったり、何故か一緒に餅を焼いて食べたりしました。 他にもそれぞれ別の人に長靴、性能のいいゴム手袋(私のは薄かった)などいただいたり、 作業服であるカッパにいたってはガサツなせいか何度も前衛的なスタイルに破けたので、その都度近くにいた誰かがくれました。 「何かコレすごくオシャレな人っぽい。」 と破れっぷりを見せびらかしてたのもあるけど…。私ウゼェ。

実家に泊まっていいと言ってくれる女性までいました。 「私は家に帰ったら好きなだけ食べられるから」とか(日帰りの方でした)、「がんばってるから」とか、現地の方に貰った差し入れを私にくれたり。というかそもそも現地の方が差し入れくれてるとこにまず感動。

帰りは、同じく泥出しで一緒だった方に、通り道だからと車で乗せていっていただきました。ありがたいです。

帰る際、適当に周囲に声かけて食べ物や消費物をあげて回っていたのだけど、餞別と言って顔見知りが食べ物などくれるので、またモノが増える…という素敵ループ。 こんな風に並べてくと、なんか物貰ったのが嬉しいみたいだけど、袖触れ合うような縁で、すれ違い際に好意をくれるそのことが嬉しい。 ボランティアとか被災者とか関係なく、なんかみんながみんなに与えようとしている。

私も、作業後にはウェットティッシュとチョコ手当たりしだい配る人になったり、冷え込みそうな夜はホッカイロ配り屋やってました。 顎が外れたというおじいさんボランティアがいたので、団体に掛け合ってボランティアのなかで整体士を探し、無事見つけて施術してもらうことも。
なんか、そういう、普段なら躊躇ってしまうようなことを躊躇わせない空気が、石巻専修大のキャンプにはあった。

普段道端でチョコとか配り出したら、下手したら捕まるもんね、うん。

それにしても、私もたいがい野生児だと思ってたけど、上には上がいた。 バスで話しかけてきたアメリカ帰りの男の子は、テントも寝袋も毛布も持たず、普通に泊まるつもりでいたらしい。
私「寒いでしょ明らか」 その子「いやぁ夜の間じゅう動いてればあったまるかなって」 私「どんだけ動くのそれ?馬鹿なの?寝袋貸すよ・・・(何故か二つあった)」 その子「天使が居る」
多分…舐めてる訳じゃなく、ただ無駄に打たれ強いんだと思う。。 いや、それを舐めてるというのか。打たれ強さと計画性は、往々にして反比例する。


泥かきの話に戻ると、ガラスや瓦礫を含んだヘドロは、かなり重いです。

水を吸った畳も、重い。 被害の大きい家だと、普通に床がぶちぬけます、梁のうえを歩こう。(私は何度も踏みぬいてしまいました;)あと、ヘドロはかなり滑ります。(私は家具持ったままコケました) そんな環境で畳は格好の足場となるので、最後に片づけるのがコツです。

お宅には、汚泥に混じりこんで腐った魚が沢山落ちていました。浸水したときに泳いできたのかと思ったけど、切り身も沢山。切り身状で泳いできた…のではなく、普通に近くに漁港や魚の加工工場があって、そこから流れ着いたらしいです。さすが漁業の街。

だけど、トイレに大きなカツオが落ちてた時は、思わず一瞬ドアを閉めました…。是非、生きてるときに出会いたかったです。。

イカの加工工場から、そこに近い一つのお宅に1万匹のイカが流れ込んだというので、みんなで必死のイカ拾いにあたったことも…。一生分のイカを拾った気がします。一生分のイカって何。

そして家主が大事にしてたであろう御人形、置物・・・沢山のものを瓦礫とともに捨てました。 大事にしていたところを想像すると、切ない想いがこみあげます。(写真は拾って集めました。)復興するといっても、元に戻りはしない。そんなことを、忘れちゃいけない。忘れるのは、置いていくことだ。

まして、家族や身近な人を失うなんて、自分が死ぬよりつらいことだったりもする。今も遺体安置所へ、身内を探しに毎日毎日通っている人が居る。 どういう気持ちか…。 ただ、想像するしかできない。 遺体は時間の経過により顔も変形していて、目や鼻などのパーツは失われていたりして、身内でさえ見分けがつかない状態だといいます。

多くの人が明るい笑顔を見せてくれるけれど。

遺体の発見に、2度立ち会いました。 はじめは、初日に作業中のお宅。自衛隊の部隊が、通行止めになっている、家屋が倒壊して積みあがった瓦礫を乗り越えやってきて、回収されていきました。 また、頭(首から上)のみの発見もありました。 一見してゴミかと思いました。ゴミと間違うなんて…。 人間も、他の諸々の物質と平等に物質でこんなに脆く、いとしい。 警察によると、70代の女性だそうでした。隣には死んだ猫。抱いて逃げたのかな…。 「身元が判明して良かった。」とのこと。

チームの人は、「やる気うせた・・・」と落ち込んでいました。 悲しいことだけど、それでも起きたことを、ちゃんと知ってたいなと思った。おばあさんと猫が、向こうで楽しく遊んでいることをただ祈りながら…。 死も生もちゃんと、見つめていたい。生きてる限りは、そうありたい。


悪夢のようだけど、現実。 その領域を分断していたはずの境界線はぼやけて失われる。 彼岸と此岸を隔てるもの、そんなものはなくて、元々、人間は脆い。いとしい。尊い。

命は、有限。目に見える全てのものに終わりがある。終わりがあり、常に移り変わっている。
何も悪いことなんてしていないのにこんな目に遭うなんて…
不条理だ、理不尽だ、無力だと悲しくなったりもする
それでも、この世界はもともと善悪なんて超えたところで、ただ、存在しているだけ。意味など持たず。

だから無力な私たちは精一杯、人間や何かを愛するしかないのか。
地震後、結婚が増えたというのも何か納得。

自然に対しては、古来畏れや恐れをもつだけ。

悲しみに意味なんてなく、またそれが悲しみの真髄であり、人は理不尽と呼ぶように、 幸せにも意味なんてない。意味がないから全てが奇跡で尊いのだと、現地の笑顔を見てて思ったのでした。 ただ意味もなく移り流れてゆくこの世界を愛します。

混乱の中で、人間は人間らしくなったり、動物らしくなったり。
同じことなのかもしれない。

一人で物資を溜め込む人もいる。
避難所内での窃盗も起きている。
ボランティアを騙って料金請求する詐欺も横行していた。

そういうのは、やっぱり出てくる。 避難所内での窃盗は、動けない老人が食べるものがなくておこしたことらしい。 考える。人間はどの段階まで、人間で居られるのだろう。 生きるか死ぬかの状況で、自分のことだけにならないで居られるのか。

「死」「他者を押しのける」これらは、元々生きてる以上誰しも必ず避けられない。だから人は例外なく罪深い。あなたが当たり前のように座っているその席は、きっと誰か他に座りたかった人もいるはずだ。 全て繋がっているからあなたの何気ない行動で辛い思いをすることになった人も居るはずだ。そう考えるとなんにも出来なくなるから、ただ忘れて過ごすしかない。それが生きるということだ。ただ、有難いのだ。

「善人猶もて往生をとぐ、況や悪人をや。」
これは有名な、親鸞上人の唱えた悪人正機説だ。
人間は、私も含めとても危うくて、紙一重で、元々いつ何をしでかすかわかったものじゃない。自分だけは大丈夫だと安心しきっていられる根拠はどこにもない。 もちろん、罪は罪であるけれど、罪も罰も、そしてその源泉である善悪の観念さえ、人間の生まれた後に生じた。
悪行といわれる行為に手を染めずにいられるのは、とても有難く、恵まれている。 勿論、こんな状況だからこそ、想像力を持ち、他者のことを考えられるのは本当に素晴らしい。 だけど、こんな状況だと、悪いとか良いとか、一概に責められるものじゃない。

「倉庫開けるんじゃね?」ってくらい物資溜め込んでる有名な人がいるらしい。 こういうのは、 「自分ひとりだけなら」の心理が招く、社会的ジレンマの問題。 無理が通れば道理は引っ込む。 無理が通りまくったごじゃっぺ(茨城弁)な世界になると、多くの人が「自分ひとりだけ損をするのは嫌だ」と思ってしまう。 損をしないためにズルをするようになり、そうなると加速が加速を生んで、「ズルをしないと損をする」コミュニティー完成。 でも、損をしたくないどころか、「自分のことはいいから、もっと困ってる人に」と思ってる人が多かったように思ったので、
その心さえあればごじゃっぺにならないかと思う。一人一人の心を大事に
奪い合えば足りぬ、分け合えば余る
引かぬ、媚びぬ、省みぬ(関係ない)


――そんなこんな、ずっと無心に泥かき瓦礫除け的な力仕事ばかりしてたのだけど、最後の日はローラー部隊もやりました。私は足がないので、Aさんという金髪のトラック青年と組むことに。 石巻のお家を一軒一軒、物資や人手のニーズを聞いて回り、臨機応変に支援にあたる。 「よぉボーズ飯食ってっか?あと可愛い子いねえか?」「ばあちゃんなんか困ったら言え」と彼は垣根なくフランクに話し掛ける。

ひと段落着いたら、炊き出し班の手伝いに。炊き出しだけど、個人宅です。 元気のある地元の人が、ボランティアと協力して炊き出しをしてるのです。 『かすかけ汁』という郷土料理で、とても美味しかったです。 作り方教わったので家でも作ってみようと思った。

人々は、「今までが色々ありすぎたのよ。わたしはこれで十分。」 なんて言っていて、明るいです。水が出ないので、洗いものは近所のお宅に水道を借りにいったり、助け合っています。 必要に追われて世の中便利になったけど、便利すぎると、助け合うことを忘れる。 便利さも必要だけど、ないものが多いから必要に駆られて人と人が助け合うそんな風景、私は好きです。

そこのお家で、手作りのミサンガをもらいました。遊んだりお話聞いていた、そこの娘さんである小さい女の子に、「おねぇちゃんだいすきだから」って…。なんかいろいろ、私は自分がいやでしょうがないときだったので、泣くかと思った。かわいすぎます。もう。 この子の未来を守るため、何ができるだろうとか思ってしまったその時。 Aさんは、「あら男手!近くにすんでいる女性が一人で全部片付けやろうとしてるから手伝ってあげて。」と、そっこう近所の家に派遣されていった。

炊き出しが終わったら、男手じゃないが私もそっちへ向かって、泥だしや掃除にあたる。
(炊き出し班は、何だか私にやたら攻撃的に突っかかってくる関西弁の主婦ボランティアがいてやりづらかった。まぁ同じ目的で来た同志、最後には普通に仲良くなった。) そこのお家は、ヘドロで埋めつくされていて、とても一人でなんとかできるような状況じゃなかった。 でも、そのお家ではもう水が使えたので二人で頑張って、かなり綺麗にすることができました。

そしてなんと小休憩のとき、さっき炊き出しで私が渡したばかりのオレンジジュースを出される。覚えてないのね・・・笑。気づかないふりをしつつも、物がないなりの精一杯のもてなしに胸が熱くなりました。 帰り際、いつの間に書いたのか手紙をもらいました。便箋がないからか、封筒に書いて渡されました。


手紙を受け取り、おばさんに別れを告げて軽トラに乗りこむ。そして閉門まであまり時間がないので、近道をしながら、大学へ急ぐ。もうすぐ大学、というとこの信号待ちで手紙を読むAさん。ふと怪訝な表情を浮かべる。

「この感触は・・・」
感謝の文面がしたためられた封筒の中には、何とお札が何枚も入れてありました。
封筒二枚重ねだったから、気づかなかった。

「こりゃマズイ!ボランティアは、金なんて貰っちゃ駄目だ。」
「これだけは駄目だよ。」
と、時間ギリギリなのにも関わらず即座に車をUターンさせ、おばさんのもとへ戻る。
お宅に着き、私の分と合わせて、二人分のお金を返しに行ってるAさんを車で待つ私。
なかなか帰ってこないので自分も行こうかとドアを開くと、

ちょうど話が終わったところのようで、おばさんが私に気づくと駆け寄って、抱きつく。
「ごめんなさい、お忙しいのにわざわざ戻らせてしまって。本当にありがとう。余計なことしたせいでかえって迷惑になってしまったみたいで、ごめんなさい」
と私の手をにぎり、涙ながらに言う。
「そんなことない、気持ちが嬉しいんです」
手紙も読んだ後で、なんだか色んな想いが込み上げて来て、嬉しくて、握ってくれる手を強く握り返しながら、言いました。 忘れない。
「そのお金は一旦あずけるから、石巻で使って、石巻の復興に役立ててくれ。また来るから。」とAさん。

手紙を読んでも、多分、人に頼るのが苦手な方なのだろう。人ごとと思えない。私も同じ状況だったら、頼めないかもしれない。 分かるけど、でも一人ではどうにもならないことってある。 それは当たり前のことで、だから助けるのも、当たり前のことであるべき。 少なくとも私は、助けたいと思う。
「あなたは一人じゃない。」
なんて言っても、帰宅難民とか、他の人には次々に迎えが来て絆を確認しあっているなか自分には誰も来ないなんて状況で、孤独に打ちひしがれている人も居るという。 気持ちが寄り添っていますという意だから、良い言葉だと思う。でも、
「じゃあなんで自分は一人なの?」と思ってほしくない。
私はそういう壁を壊したいと感じた。四の五の言わずにみんな一つに。
無力だから、空回るのは覚悟のうえです。

また、大川小学校付近の避難所に行った人の話だと、虚ろな目で沼のほうを見つめている女性が沢山居て、彼女に反動するように異様に気丈に振舞う家族、空気がまるで違ったといいます。
ニーズ票を取ることさえ出来ず、帰ってきたらしい。


泥かきとか、炊き出しとか行為そのものもそうだけど、忘れてないし、手を伸ばしてくれさえすれば手を掴む人がいるということ、その意志表示。

「俺達を見捨てんでね」と、ある漁師さんがポツリと言っていました…。 置いていかない、連れて行く。と思った。 前を向くと言いながら彼らを忘れていかないでほしいと切に思った。


長くて、話が色んなとこ飛びましたが、
以下は、ボランティアセンターのコピペ。
人手は、全然足りていないようです。行ける人はぜひ。

必要なもの:長靴・カッパ・タオル・ゴム手袋・食料・水・ラジオ等


4/13(水) 現在

V新規457人・継続309人・通算9,578人。依頼件数102件・通算2,326件。派遣(活動)件数77件754人・通算1,284件11,842人。

上記のとおり1千余りの依頼(ニーズ)に応えられていない状況です。多くの方々がボランティアの支援を待っています。

活動内容はドロ出し、家具・畳の搬出がメインです。

ボランティアの内訳: 男性8割:女性2割 市内6%・県内20%・県外74%

日帰りでも滞在でもOKです。活動の前にVCにて受付してください。(8:30~16:00)

石巻市災害ボランティアセンター設置場所 : 石巻市南境字新水戸1 石巻専修大学5号


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