福島・いわき市小名浜ソープ街探訪 ◎4月23日◎
(小名浜港付近の地図。Googleマップより作成)
福島県いわき市小名浜はその名の示す通り海沿いの町だ。かつての主な産業は漁業であったが、最近では近隣の工場へ物資を降ろす為の工業港としての役割も果たしている。
しかしながら先の震災、津波の影響で、4月23日時点においては港としての機能はストップしているようであった。 津波被害による大量のがれきは多少片づけられてはいるものの未だ完全な除去には至っておらず、復興の難しさを暗に物語っていた。
(画面左端に「いわきマリンタワー」がみえる)
(遠くに水族館「アクアマリンふくしま」がみえる )
さて、小名浜港にほど近い一画は、東北最大と言われるソープ街となっている。かつての赤線地帯は、時代を経てもなお男たちの密やかな癒しの場として存在しているのだ。がれきがうず高く積まれた道の先に猥雑な色合いの灯りを見つけた時、不覚にも私は感動してしまった。 それは大袈裟に言ってしまえば人間の「性」への執着が象徴的に感じられたからに他ならない。日曜夕刻の小名浜ソープ街の人影はまばらだった。しかし店の駐車場に少なくない数の車が停まっていることから察すると、それなりに繁盛しているようすだ。
狭い路地を抜け、店先の男性に話を聞いてみる。
「地震の時はとにかくすぐに外へ出た。客も嬢もみんなでね。それはなかなか不思議な光景だったよ。すぐに津波が来るって言うので逃げたんだ。
海に近い店は少し浸水したようだったけれど、うちは何とか大丈夫だった。一週間後には店を開けたよ。」
この街の主な客層は県内の男性であるが、野球・サッカーなどスポーツ関係者が年に2、3回遊びに来ていたという。忘れがちとなっているが、今や原発作業の拠点となっているJヴィレッジは、日本スポーツ振興の重要な場所だったのだ。
サッカー日本代表チームも、幾度となくここで合宿をしている。東京電力の莫大な出資で作られたその施設が、このような形で東電自身に使われるというのは皮肉な話でもある。
他の店舗で話を伺う。
「津波、原子力災害とあったけれど、意外と客は来ているよ。びっくりしたのは三日連続で来たお客さんだ。多分原発の作業員だろうね。
危険と隣り合わせで作業してれば、そういう気分になるのが人情だものね。お客さんはあまり自分のことを明かそうとはしないけれど、最近はタクシーで来る客が多い。そういうお客さんは、原発関係者が多いのではないかな。」
この街では、どの店でも料金は変わらず、一時間16000円。原発マネーはこんなところにも落ちていたのだ。「ただ」と店員は続ける。
「いつまでも原発関係者が来るわけはないし、今後のことを考えると少し頭が痛い。福島は放射能まみれだなんてことが言われているけども、我々は普通に生活していることを忘れないでほしい。」
この日のいわき市の放射線量は、毎時0.3マイクロシーベルトだった。胸部レントゲン写真一回が100マイクロシーベルトであることを考慮すれば、どうということは無い数値であることが解る。ちなみに新宿の現在の放射線量は毎時0.1マイクロシーベルトほどだ。
ひなびた路地裏を歩いていると、どこからかシャボン玉が飛んできた。風俗店に挟まれた民家の窓から、五歳くらいの女の子がシャボンを吹いていてぎょっとした。こんな場所に子供がいていいのだろうかとふと思った。 しかしその光景を非現実的だと思うのは、「性」を日常から切り離して考えている証拠だ。性は日常の延長にすぎないし、それ以上でもそれ以下でもない。それと同様に、原発の爆発以降の東日本において、放射線は日常のものとなってしまった。 我々はその事実を真摯に受け入れる必要があるし、やみくもに怖がるのはただの現実逃避でしかない。放射線をそれ以上でもそれ以下でもないものとして扱うことが出来た時、我々は真の意味で事故を乗り越えたということが出来るのではないか。
「ちょっと遊んでいかない?いい娘いるよ。」
呼び込みの方々はこう我々を誘惑したが、金銭的、時間的な問題もあり、残念ながら今回は遠慮させていただいた。
しかし、津波、原発事故をものともせずに営業を続けるこの街のたくましさは、曇天の空の下で輝いているように思えてならなかった。
(文責 : 斉藤光平 | 取材 : 斉藤光平、稲葉秀朗、上航、ヨッケ・コンドオ | 写真撮影 : 稲葉秀朗)