千葉・浦安市液状化現象の被害レポートと、
これからの日本を生きるみなさんに主張したいこと。 ◎3月24日◎
先日から、大きな余震が続いていますね。8日には最大の余震がありました。都内の自宅もけっこう揺れました。 余震といっても、M7.4というのはそれだけで立派な大地震の規模です。まだ震災は終わっていません。
東京では、もう地震はおさまった、あとは原発と電気と物流が回復して被災地が復興すれば良い、という雰囲気がありました。 しかしまた大きく揺れ始めると、思い出したかのように余震、余震といい始め、コメンテーターも「いつ収束するのか」などとアホな発言をしています。 これからは、長期戦の覚悟と、来るべき首都直下型、東海、東南海、南海地震へ備えることが必要となってきます。
宮城沖の地震は、発生確率99%と言われていました。関東、東海地震等も、ずいぶん前からいつ来てもおかしくないと言われています。 あくまで確率の話ですが、今回の地震は現に起こった。起こるときは起こる、それが、我々が今後絶対に忘れてはならないことなのです。 単に震災以前に戻るのが「復興」なのだとすれば、それはまた同じことを繰り返すということです。同じことを繰り返す、というのが、どういうことか。もはや誰もがわかっているはずです。
ところで、先月24日、我々ドライ編集部は、千葉の液状化の現状を確かめに行って参りました。最近ようやくテレビでも見られるようになりましたが、震災直後はメディアでは取り上げられなかったところの一つです。 その実情は、かなり深刻なものでした。以下はそのご報告であります。後半は、恥を忍んで本気で本音を書きました。編集長の、第一原発20キロ圏内レポートとあわせてご覧ください。
舞浜駅を降りてすぐの東京ディズニーランド入り口。
ここの時点から、被害の状況がむき出しになっており、「夢の国」観が崩壊してしまうような状況。
降りてすぐのロータリーは、全体的にこのように地面が割れ、隆起陥没し、ロッカーは波打っていた。
駅周辺もこのような状態。たとえ園内が復旧したとしても、これでは「非日常」に「日常」が食い込んできてしまう。 部分的とかではなく、駅周辺、浦安周辺が全体的にこの調子(後述するが一部はもっとひどい。)ので、復旧の兆しも見えないと私は感じた。そんななか、本当にTDLは再開できるのだろうか…?まだ大きな地震は続いている。
舞浜駅から新浦安駅まで歩きつつ、住宅街の状況をみる。
これは、もともと住宅の敷地であったところが、完全に水没して川のようになってしまっている。液状化による冠水なのか、水道管の異常なのかはわからないが、このような様子もみられた。
当日はまだこの辺一帯が、電気もガスも水道も止まっており、方々で工事が行われていた。
道路も亀裂が入り、地下から噴出した泥水が土砂となって堆積し、地盤が沈下するので、標識、電柱、街路樹、塀等が沈下、倒壊してしまう。しかし、液状化によって沈下するのは電柱や標識だけでは済まない。
わかりにくいかもしれないが、これは交番の建物自体が傾いてしまっている様子だ。新浦安駅に近づくに連れて被害が大きくなっていた。地域によって、被害の程度は異なっている。おそらくは地理的な要因と思われる。
途中の公園には、土砂が集められ、山になっていた。それでも、まだまだあちこちの歩道脇に土砂が堆積しっぱなしになっている状況であった。
そしてその乾いた土砂が風に舞い、砂嵐のようになっている。マスクなしでは到底息ができないほどであった。
街中を走るバスは砂埃にまみれている。
この砂埃による健康被害というのも十分に考えられるのではないかと思う。
新浦安駅前。ここは、地震直後、水が噴出してくるなどかなりの被害があったようだ。奥の地面に見える黒い線のようなものは亀裂で、手前には瓦礫が積み上げられている。
亀裂と砂にまみれるロータリー。
エレベーター周辺の地面が陥没し、断裂してしまっている。このレベルの被害もあちこちに見られた。
今回は浦安周辺が特に被害が大きかったが、液状化というのは、東京湾の埋立地や、地盤の弱い地域では内陸でも起こりうる現象である。
家屋の倒壊という意味でも怖いが、その後の、復旧、復興の困難さというのも感じた。
なにしろ大地そのものがぐちゃくちゃになり、沈下し、アスファルトは剥がれ建築物は傾く。どのように復旧するのか、見当もつかない、という感じである。
地下の土砂を強化する方法は一応あるらしいが、大地震にともなう液状化現象というのは、防ぎようがない。一体、どうするというのか。
東京だってヒトゴトではない。特に地盤が弱いとされる江東区などをはじめ、東京も危険な都市と言われている。
ひとりひとりが、自分の生活を見直し、考え直すべきだろう。
そして、「ひとつになろうニッポン」や「がんばろうニッポン」は、大いなる欺瞞であるし大いなる思考停止である。
もちろん募金をしたりボランティアをしたりというのは必要なことである。支援しあう、助け合う気持ちというのは忘れてはならない。買占めなど論外である。
しかし、首都圏は直接的な被害を受けたわけではない。まだみんなそれぞれ自分の生活を営んでいる。
家が流されたわけでも、家族が流されたわけでも、仕事をなくしたわけでも、避難勧告が出されたわけでも、避難所生活が一ヶ月続いているわけでも、風呂に入れないわけでも、くいたいモン食えないわけでも、読みたい本読めないわけでも、ない。
俺はお前じゃねえし、
お前は俺じゃねえ。
かってにひとつにしてんじゃねえよ気持ちわりいな。
「祝祭」に回収してしまったら、人々はこの震災を忘れるだろう。
それは自らの首を絞めることである。
これまでの生活、生活水準を棄てたくないのならば、人々がそれを選択するのならば、それでもよい。
ただし、覚悟と準備は一人一人がしておくべきだろう。
地震そのものを止めることはできなし、防災にも限界があるし、人は死ぬ時は死ぬのである。
覚悟と準備、物理的な準備、思考的な準備。
考えること、備えること、考え続けること、それくらいは、原発を動かしながらでも、経済を止めずにまわしながらでも、一人一人ができることなのだから、やろうよ。
それこそが、「素晴らしい日本国民」の強さになるはず。
たかが電車が止まったくらいで、冷静に並んでいる日本人すげえとか、意外に思いやりがあった都会人とか言ってるようでは、私はむしろその脆弱さしか感じない。
たしかに東京も震度5だったけれども、べつに首都直下型が来たのではないのだ。
むしろ今後来るかもしれないのに。
直下型が来たら、その日の内に静岡に逃げてそこで静岡地震にあって、福岡に逃げて水を買い占める、などということも出来ないのである。
ほんとにわかってるのかなあ……
とまあ色々言いましたが、とにもかくにも東北の復興、原発の対処が最優先であることに違いはないのです。
私が言いたいのは、それとは別次元の問題なのです。
なにが正解か、そんなもん私にもわかりません。
編集長が、宮城の現状を見てきた後に、「遺体安置所もみてきた。東京でやってる議論が全部茶番に思える」というようなことを言っていました。
私は、家庭を持ち、無意識に保守化する人々を責める事はできない。
俺だって、親や彼女の為だったらおそらく保守化する。
思想も信条も譲れない何かも譲るかもしれない。
それでもいい。仕方ない。
ただ、何かあったときの覚悟だけはしとこう。
みんなでしとこう。
それだけが今のところ私の願いである。
(文責 : 池田尚史)