京都・観光都市の今後は ◎3月17日◎


3月17日、京都へ行った。ところどころで募金活動を行っている集団を見かけるのを除けば、街を行き交う人々の様子はいつもどおりだ。

三条河原町交差点付近で募金活動を行っていた、曹洞宗青年会の僧侶のみなさんに話をうかがった。この場所だけで一日に18万円が集まったという。 私はかつて高校の文化祭で二水広や早川泰史(『ドライ』1号 2010年代×中国 筆者)たちと共に募金をやったことがあり、二日でやっと10万円を越えたので、そのすごさがよくわかる。

一方、彼らの前を通り過ぎていく人の反応や表情をみていると、予想以上に無反応な人も多い。「募金をしていて、たまに若干の温度差を感じてしまうこともありました。 みんな阪神大震災のときの反省があるはずなのですが・・・・・・」 やはり、お寺は全国にネットワークがあるため、今回の地震でも多くの宗派が支援のために動いている。彼らによると、浄土真宗の東本願寺と西本願寺は被災地へトラックを派遣し、すでに帰還したという。

義援金は曹洞宗義援金窓口、あるいは赤十字社への寄付が予定されており、行政支援のほか、被災地での寺院の再建にも充てられる。 「今は一時的な支援として募金を行っていますが、長期的なスパンでどのような支援ができるかも考えています」 しかし、曹洞宗青年会の東京にある本部でも被害状況など情報が不足しているため、具体的な調整のための情報収集にも力を入れているそうだ。

新京極にあるアパレル店の店員は「地震の後にこれといった混乱があったわけではない。東日本からの避難もあってか、外国人の観光客が増えたかもしれない」という。しかし、一方で被災地への優先的な配分、あるいは東日本の親戚に送り届けるために買う人が増えた等のために、京都では乾電池が不足している。

一見増えたようにみえる観光客も、今後はどうなるかわからない。3月11日から開催されていた青蓮院から清水寺までの約4.6キロメートルに灯籠を設置して夜景を楽しむ「花灯路」という催しは、今回の地震を受けて14日から被災地に対する追悼の灯火という催しに切り替えられた。 また、知恩院で三月末からはじまる予定だった浄土宗の宗祖、法然上人の800年大遠忌は大半の日程が秋に延期となった。

食品会社に勤める女性によれば、花灯路のように伝統的な行事が中止されるのはとても珍しいという。こうした行事は一年以上前から街を挙げて準備が始められ、各種みやげ店なども行事に伴う集客を見込んで仕入れを行う。 よって、その中止や延期によって観光客の数が減ると、観光収入に頼るところの大きい京都の経済は打撃を受けることになる。

特に、鮮度や衛生の管理に敏感な食品業界の場合、予定の変更に伴って大量に発生した在庫には、東京の倉庫に留め置かれるものもある。もし、計画停電のために十分な保冷が行えなければ商品は売れなくなってしまうことが懸念される。 だからといって、そのことで京都の人々は誰それを恨むということはしない。すでに、京都の企業では東北地方で打撃を受けた食品会社の売れなくなった在庫を買い上げることを決定したところもあるそうだ。

繁華街では卒業式の晴れ着姿の女性を多く見かける。関東の大学では卒業式や入学式がなくなったところも多いので、新鮮だ。三条木屋町でクラブの客引きをしていた男性(40代後半)は夜の世界の住人だが、先日新宿歌舞伎町で出会った人たちとは違った。 彼は、心から被災地の無事を祈るとともに支援もしたいが、どこに何を集めればいいのかという情報はまだ足りないそうだ(3月17日時点)。「行政さんやマスコミさんに何とかしてもらわな」 そして、業界の中で被災地支援の動きがあるわけではないが、自分ができることはしたいと話してくれた。

彼の話の中で当然のことながらなるほどと思ったのは、人件費等のコストを抑えられない以上は客が来なくなれば節電せざるを得なくなる、ということ。今も業界としてはオフシーズンなので、地震は関係なくとも節電するところがあるそうだ。京都の水商売業界は、京都じたいの観光客に左右されるところが大きいのだ。

このことは、裏を返せば節電もせず普通に営業している店々には、客が来ていることを意味する。新宿の旧コマ劇場裏の店の看板では相変わらず仰々しいネオンサインが点灯していて、その近くで客引きをしていた男性が「客足は特に減っていない」と話してくれたことを思えば納得がいく。

このように、一見いつも通りの生活を営んでいるようにみえる京都の人々も、地震に対して思うところは人それぞれだ。ただ、観光という点で京都は全国、そして世界と繋がっている。 そのため、特に京都の観光を支える、あるいはその影響に大きく左右される職業に就いている人たちは、今回の地震に敏感だったかもしれない。また、関西では1995年の阪神・淡路大震災を経験した人も多く、そのときの体験談に引き寄せて語ってくれる人もいた。このことについては、機会があればあとで述べたい。

(文責 : 稲葉秀朗)


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